
面影橋の南側右脇には新宿区による面影橋の歴史が書かれた案内板が設置されており、以下のような記載がある。
俤(おもかげ)の橋・姿見の橋
面影橋の由来
目白台から続く鎌倉街道と推定される古い街道沿いにあり、姿見の橋ともいわれていました。
橋名の由来には諸説あり、高名な歌人である在原業平が鏡のような水面に姿を映したためという説、鷹狩の鷹をこのあたりで見つけた将軍家光が名付けたという説、近くにいた和田靭負(はきえ)の娘であった於戸姫(おとひめ)が、数々の起こった悲劇を嘆き、水面に身を投げた時にうたった和歌から名付けられたという説などが知られています。
なお、姿見の橋は面影橋(俤橋)の北側にあるもので、別の橋だという説もあります。

案内板に掲載されている絵は「江戸名所図会 7巻」に描かれている。
中央の大きな橋が面影(俤)橋で、手前が現在の西早稲田、奥が雑司が谷、池袋方面と思われる。
なお上記の案内板には、姿見の橋は別の橋だ「という説もあります」と曖昧な記載をしているが、絵のほうでは右奥にはっきりと姿見の橋が描かれている。
ちなみに現在の姿見の橋のあたりに川は流れていないため、時代の経過と共に消滅したか地下に潜って暗渠になったのだろう。

姿見の橋のさらに先には「氷川」(氷川神社)「南蔵院」「宿坂」「金乗院」といった現存する社寺や坂も記されている。
かなり遠くのほうまで描かれているのかと思いきや意外と近所だったりするので、頭のなかで現在の地図と重ね合わせながら見てみると面白い。





