面影橋の北側一帯は武蔵野台地の東縁部にあたり、神田川を望む高台が広がっている。
そのため、この辺りには勾配の急な坂がいくつもある。
2つ目に紹介するのは「宿坂」。面影橋の北側正面に位置する坂である。

宿坂の歴史は古く、中世(鎌倉時代〜安土桃山時代)には既に存在していたらしい。
坂の案内板には次のように書かれている。
宿坂道
中世の頃、「宿坂の関」と呼ばれる場所がこの辺りにありました。
天保七年(一八三六)出版の「江戸名所図会』には、金乗院とともに「宿坂関旧址」が描かれています。金乗院の裏門の辺りにわずかな平地があり、立丁場と呼ばれ、昔関所があった跡であるとの伝承が記されています。この坂の名が「宿坂」といわれているのは、おそらくこれにちなむものと思われます。
また金子直徳著「若葉の精』(寛政一〇年・一七九八)によれば、宿坂の関は関東お留の関で、鎌倉街道の道筋にあったといわれています。鎌倉街道は、高田馬場から雑司ヶ谷鬼子母神方面へ抜ける街道で、現在の宿坂道よりやや東寄りに位置していたようです。
江戸時代には竹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみ坂と呼ばれ、狐や狐が出て通行人を化かしたという話が今に伝わっています。
![江戸名所図会 7巻 [12]より](https://omokagebashi.com/wp-content/uploads/2024/11/slope_2_4-734x1024.png)

坂の途中には目白不動尊を祀っていることで知られる金乗院がある。
この目白不動尊から地名を取ったと云われる目白地区(JR目白駅付近)はここから結構離れたところにがあるが、昔の人にしてみれば同じ地域という感覚だったのだろうか?

宿坂の上からみた景色。正面に見える大きなマンションの袂に面影橋がある。
宿坂は隣ののぞき坂と違って傾斜はそれほどキツくない。その代わりに長くダラダラと坂が続く。
瞬発力で乗り切るならのぞき坂、持久力なら宿坂といった感じだろうか。





