
面影橋の歴史
面影橋の歴史は古く、承応年間(1652〜1655年)の神田上水工事の際にかけられたといわれ、安政4年(1854年)に刊行された安藤広重(歌川広重)の名所江戸百景にも「高田姿見のはし俤の橋砂利場」としてその姿が描かれている。
当時は弓形の太鼓橋で、欄干が無いためうっかりしていると川に落ちそうではあるが、なかなか立派な橋だったようだ。
ちなみに現在は姿見の橋はなく、面影橋だけが残っている。
名所江戸百景「高田姿見のはし俤の橋砂利場」と橋名論争
作品のタイトルにもある通り、この絵には「姿見の橋」と「俤(おもかげ)の橋」の2つが描かれている(2つめの橋はかなり遠くに小さく描かれている)が、その呼称については議論になっており、Wikipediaによると「やや混乱を来している」らしい。
「絵につけられた名前の順番から考えると、手前が姿見の橋で奥が俤の橋である」という意見もあれば、「江戸名所図会では奥が姿見の橋と書かれており、手前を姿見の橋と呼ぶのは間違いである」、「近所に住むおばあちゃんが『若い頃は姿見の橋と呼んでたが、いつのまにか面影橋になってた』と言ってた」など、様々な意見が飛び交っており、結局のところ真相は判明していないようだ。
この問題については浮世絵写真家の喜千也氏が詳細かつ興味深い考察をされているので、お時間のある方はぜひ下記リンク先のコラムを読んでいただきたい。
個人的には地域の歴史や言い伝えを尊重し、「姿見橋」というセカンドネームがあっても良いのでは?と緩く捉えている。







